【原稿募集】あなたの「生活の批評」を送ってください
批評同人誌『生活の批評誌』発行のいくつかの目的のうちの一つに、
「生活の批評」を集めること、というものがあります。
「生活の批評」という概念を作って以来、世界が「生活の批評」に見えることがあります。自分で名付けた大事なもののありかを、日々の生活の中でここにも!あそこにも!と見つけてほくそ笑んでいるわけなのでほんっとお得な人間なのですが、なんということか、時折友人からも「この前生活の批評っぽいことがあった」という報告を受けることがあります。これはうれしい。そして、それを共有してもらったとき、「ああ、それは生活の批評かもね」とやっぱり思うわけです。
生活の批評ってなんなのか。まだ確定的な答えは出せない、というより絶対に出したくないとすら思っているのですが、少なくとも、日々の生活の中で見出される面白さだったり、自分の見えている世界がふとした時に異質なものに見える感覚だったり、強烈な喜びが輪郭をめっきりと現した瞬間だったり、舞台をさっと飛び降りる感じだったり、爆笑が催される瞬間だったり、ささいな揺れを発見してしまった瞬間だったり、ともかく、日常をよくよく見ること、吟味すること、そして自分自身と対象に問い続けながら言葉をたぐりよせることだと思っています。
それをもっともっと集めたいと思いました。
そこで今回、来年1月19日(日)に開催の京都文学フリマにて発行予定の「生活の批評通信(仮)」掲載する「生活の批評」を募集することにします。
以下が要項となります。紙面に限りがあるので必ず載る、というわけではないのですが、ぜひあなたがみつけた「生活の批評」をお送りいただけると嬉しいです。
「盛り上がれ!」「切り替えろ!」プレッシャーに惑わされがちなクリスマスと年末年始。この際、ぐっと自分に引きこもって、「原稿執筆」の時間を取ってみるのはいかがでしょうか(もちろんイブは私も書きますよ~!がんばろ!)。
「生活の批評通信(仮)」原稿募集
・内容:「生活の批評」にまつわる文章
・文字数:500~800字
・審査あり *そのまま掲載or修正して掲載or今回はごめんなさい のどれかをご連絡
・謝礼:完成冊子2部
・判型:A4二つ折り(予定)*100円~200円にて販売
・締め切り:1月5日(日)23:59まで
・送付先: seikatsunohihyoushiアットgmail.comまで
質問がある方は、seikatsunohihyoushiアットgmail.comまでお寄せください。お答えしたものは、可能な範囲で、こちらに追記していきます。
no.4制作開始します
クローゼットの中にあまりにも冬服がないことに気づいたとき、去年のちょうど今頃ひとりで無職だったことを思いだした。その当時私は、金がないから新しい服が買えないというのに、鬱が治るような気がしてひたすら物を捨てていた。買わずに捨てる。とにかく捨てる。いらないものがなくなって、すっきりクリーンに洗練されたら、このどん詰まりもちょっとは晴れるのではないか。なんて期待に満ちた日々の断捨離を息抜きに、生活の批評誌のno.3「ひとりで無職」号のために、各方面に暑苦しくしつこい原稿依頼のメールを送っていた。
だいぶ前、生活の批評誌の最新号を作ったよと報告した大学時代の友達に「なんでかっしー(彼女は私をこう呼ぶ)はそんなにいつまでも雑誌が作れるの」と言われた。それを受けて私は「雑誌を作っていないと生きた心地がしないんだよねえ」と答えた。あっはっはと2人で力なく笑ってその話題はなんとなく流れたのだが、自分の発言ながら、あれ、どういう意味だったんだろう。
確かに私は、雑誌作りしか、空いた時間の過ごし方を知らない。いや、それは言いすぎか。少なくとも、時間の空白に「雑誌作り」をねじこむことになんの躊躇もない。”雑誌を作る”という行為に込めた確固たる思想のようなものは正直あまりなくて(「生活の批評誌」というコンセプトにはあるよ)、気づけば作っている……と言っても大げさではない気がする。「早く買い替えなよその服」と言われる回数がおそらく関西圏でトップクラスであろうほど身の回りの物事にかける金銭をケチる傾向にある自分が、印刷費ともなればまあまあの大金を投げ出せてしまう。これは冷静に考えれば奇妙ですらある。
そういえば、実際のところ、幼いころから雑誌作りは私のお気に入りの一人遊びだった。小学校一年生のとき、我が家の名編集長気取りだった私は、白い画用紙を3枚並べ、特集、コーナー、漫画、インタビューなど、ひたすらに企画内容を書き込み、最後にホッチキスで2点止めして、「出版」していた。家族に原稿依頼したり、自分も書いたり。まるで世界中に読者が待っているかのような気負い方で、毎号真剣にコンセプトを決めていた。そういうたぐいのものを、複数タイトル、かなりの数作っていた(実家に全部ファイリングしてある)。そのあとは大学でフリーペーパー制作団体にのめりこんだり、自主同人誌出したり、と、なんだかんだ、0歳~5歳までと、中学~高校の6年間を除いたすべての時期に、何らかの形で雑誌めいたものを作ってきた。それはそれは、なんの疑いもなく。まるで私が生きていくうえで必要な、極めて自然な営みです、といった具合に。だんだんと分かってきたのだが、ついつい雑誌を作ってしまう人、というような人がこの世の中には確実に一定数いて、私もおそらくそうなのだろう。しかしこの事実と、「雑誌を作っていないと生きた心地がしないんだよねえ」という答えとの間には、まだなにか飛躍がある。
ある友人に、「あなたとどこか遠くに旅行に行きたい」言われたとき、この人はなんとすごいことをいうのだろう、と驚嘆した。単に誘いやすい適当な相手だっただけなのかもしれないが、その一言に、少なくとも彼女が私を信頼しているということ、安心感を持っているということ、そして、「あんたと旅行したらお互い面白そうだと思うんだよね、違う?」みたいな、積極的な私への評価がさしはさまれている気がした。もともと彼女は「この人ともっと仲良くしたい」と思えば、それを躊躇なく相手に伝え、行動することができる人だった。それに比べて、私は非常に彼女に対してどこか受動的で、誘われるままに応じるものの、自分からなにか提案をし、誘うことはなかった。2人で過ごした強烈な時間の数々は全て彼女の手で導かれたものだった。私はなんとなくずっと、そのことを後ろめたいと感じていた。
思い返せば、そんな関係ばかりだ。私が相手に踏み込むか躊躇していたり、相手のことを考える間もなく自分に精一杯になっているときに、私は相手に、ぐっと踏み込んでもらっていた。私が今でも救われることの多い関係性の多くは、相手に手取り足取り形作ってもらったものなような気がする。
思い出すのが、ちょうどこの前に読んだ『図書新聞』(2019年12月21日号)短期連載「詩と批評 ポエジーへの応答」イベントレポート③での、詩人の杉本真維子の発言。
信じられないようなことだが、私は最近まで、他者と接触することはどちらかと言えば「悪」なのだと思っていた。だから、私に連絡をくれる人は、世の中のそんな奇妙な掟のようなものに抗い、自力で立とうとしているひとなのだ、と思っていた。それくらい優れたパトスを持った、覚醒したひとなのだと。そこまでして言葉を届けてくれるひとに、自分は何を返せばいいのか、といつも悩んでいた。
彼女が使う「悪」という言葉を私はどこまで理解できているかわからないけれど、接触することに含まれる、「なにかやってはいけないことをしている」という感覚は、私の中にも、ずっと、うっすらと、ある。(これは「他者と触れ合うことは傷が伴う」という言葉のレベルとは多分違う、もう少し根底にあるものだと思う)。そして、それができてしまう人に対する畏れに似た尊敬を同じように、感じている。おそらく私は、雑誌を作らずにどうやって人と関わればいいのかあまりよくわかっていない。”あなたのことをこういう風に私はとらえているけどどうだろう?”というようなかかわり方を、あの彼女のように日常の会話の中でさりげなく、できるような人では、少なくとも今はない。その瞬間はなにも思わなくても、あとから、なぜああいう言葉でごまかしたのか、なぜ私はあの時踏み込まなかったのかと、罪悪感と後悔に苛まれる。多分小さいころからずっと、そこはかとないコミュニケーション不全の感覚がずっと心のどこかにあって、その感覚は、普段の日常では抑え込むことができるのだけど、時々ぐっと、とても率直に「このままで死ぬのは避けたい」と思う。雑誌を作ることで、「私はあなたに興味を持っている」ということを、目の前を過ぎ去りゆく私が出会う人に対して言いたくて、すれ違った人がいる方向にダイナミックに逆走して、もう一度その人の肩をつかんで出会いなおしたくて、作っている。
「雑誌を作っていないと生きた心地がしない」というのは、おそらく人と接触することを「やってはいけないこと」と感じている私がせめて自分以外の誰かと主体的にかかわり続けるための手段なのだろう。そんなんするくらいなら目の前の数々の不義理をなんとかしろよと自分の中から声が聞こえてきてごもっともですと悲しくなってくるが、せめてそのことに自覚的になって、やらずにはおれないことをやっていきたい。
生活の批評誌no.4を、来年5月の東京文学フリマに出せるように。仕事を辞めないぎりぎりのラインで、制作を開始します。
2019年12月 編集長
生活の批評誌が買えるお店201908
生活の批評誌取り扱い店舗様をまとめました。
(2019年11月11日現在)
ぜひお近くの場所に足を運んでみてください!
*一部店舗にて品切れあり。在庫に関しては各店舗様にお問い合わせください。
▶東京
・模索舎(東京都新宿区)
取り扱い号:①②③
http://www.mosakusha.com/voice_of_the_staff/
・本屋B&B(下北沢)
取り扱い号:③
▶静岡県
取り扱い号:①②③
https://twitter.com/suiyoubunko1?lang=ja
▶大阪
取り扱い号:①
・Calo bookshop and cafe(大阪市西区肥後橋)
取り扱い号:①②③
取り扱い号:①②
▶︎京都
取扱号:①②③
https://twitter.com/cavabooks?ref_src=twsrc%5Egoogle%7Ctwcamp%5Eserp%7Ctwgr%5Eauthor
▶長野県
books電線の鳥
取り扱い号:②
▶鳥取県
・汽水空港(松崎)
取り扱い号:③
文フリ東京に出店します。
久しぶりの投稿です。
年号が代わりましたが、なんのことのない月日の流れです。
生活の批評誌販売イベント情報です。
5月6日(月)GW最終日の日、文学フリマ東京に出店します。
https://bunfree.net/event/tokyo28/
時間は11:00〜17:00、場所は東京流通センター第一展示場。
(品川らへんから羽田に向かうあたり)
約1000ブースの文学系同人団体が集う国内最大のイベントです。
生活の批評誌のブース名はカー24
最新号はもちろん、完売中だった創刊号含め、既刊を全て販売いたします。
どうぞお越しください。
一緒におしゃべりしましょう。
【新刊情報】生活の批評誌no.3「ひとりで無職」
〇新刊情報
表紙イラスト:富田晴 https://twitter.com/tomita_teru
生活の批評誌、新刊できました。
1月20日(日)京都みやこめっせにて開催される京都文学フリマにて販売いたします。
〇生活の批評誌 no.3
特集「ひとりで無職」
無職になるとき、その人には、その人を取り巻く社会には、一体なにが起こっているのだろうか。
労働と納税が義務とされるこの時代、無職はいつも就職に対する「前段階」だ。無職は、”働く前”の過ぎ去るべき過去として、至極簡易に処理される。 働け、なぜ働かないのか、と、周囲や世間、己からの声は絶えない。その一方で、街やSNSには、「働かないでなぜ悪い」と、無職を自由なオルタナティブとする言説があふれている。
開き直った自由でも、労働に追われた絶望でもない、ただゆるぎない確固たる状態として、無職という状態を、捉え、見ることはできないだろうか。
現にこの社会には、大人数が同じ格好でグループで歩いている大通りからも、“すごいひと”が笑いながら歩く隣の通りからも、外れ、たったひとりで、「無職」の小道を歩いている人がいる。誰かが、いつでも、「職業を持っているのが普通」とは別のレイヤーで、ひとりで無職をしているのだ。ただ淡々と。それを、かたちに表したい、と思った。
無職を経験した人、そうでない人、どちらともいえない人、立場も経歴も様々な9人の参加者と送る、無職から”働く”を問い直す、暮らしのブックレット。
ひとりで無職をしているひと同士のゆるやかな共同戦線に、小道への行き方や、小道の歩き方に迷う誰かへの標識になることを祈って。
〇収録作品
佐々木 治己 働かざるもの
梅澤奈央 南国ビーチだと思って無職になったら禅寺だった件
鈴木並木 直感でわかった
編集部コラム① 無職になったら ~失業手当を受け取ろう編~
林絵梨佳 こぼれ落ちた先にも人生は続く
小峰輝久 無職の極北
樫田那美紀 「母」から逃げて、無職になる
編集部コラム② 無職やフリーターはなぜ非難されるの?
nu 帆
編集部コラム③ 社会には無職が「必要」だ?
宮崎夏実 おいしいしごと
楽市楽座 萌 インタビュー 生きる知恵と生きる
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・文学フリマでの販売価格は700円(予定)です。
・「ひとりで無職」の方(自己申告/審査あり)先着3名様に649(ムショク)円の特別価格で販売いたします。
・表紙に特別な加工を施した関係上、全冊手製本です(それゆえ、多少のズレ、かすれ、手作り感などにご容赦ください)。
・第二回京都文学フリマは、文学系の団体が400ブース出展。
きっと大いに楽しめること間違いなし。ぜひともお越しください。
時間:2019年01月20日(日) 11:00〜16:00
場所:京都市勧業館みやこめっせ 1F第二展示場C・D面(京都市・岡崎)
第三号を作っています
生活の批評誌第三号、制作開始です。
生活の批評誌第2号 掲載作品
生活の批評誌第2号
生活の批評と特集「つながりは、いま救われているか?」の二部構成の最新刊。
2018年5月6日発行。
表紙装画:近藤 大輔「惑星からの」
特集「つながりは、いま救われているか?」
座談会
つながりの今、運動の現在 富永 京子×編集部
つながりとしがらみが取りこぼすもの 栗田 隆子
インタビュー
つながりしかないこの国で、何かを変えるということ 武田 緑
ボーダーを着た革命戦士 ―つながりと女のために― 樫田 那美紀
インタビュー
つながりが潜在化するもの 田中 俊英
断絶の詩法 鈴木 径一郎
女がアートでつながるということ
——「女のフェスティバル1986-1995」に参加したふじみつことノブコ・ウエダの場合——
中西 美穂
つながりの倫理 ~仏教思想を手がかりに~ 秋田 光軌
I can’t touch it, you can’t touch it Maria
生活の批評
Bouteille à la mer 中村 桃子
いいえ私はこの世界にレジデンスしていたい 坂東 芙三次
冬の坂 小長井 涼
Parlez-moi d'amour――ただ生きることの決疑論、たぶんその一 吉中 みのり
きょうのかんがえごと 宮崎 夏実
やらずにはいられない懸賞について
—FRESH ART FESTIVAL HANSHIN参加総括— 編集部
ぐるぐる nu