生活の批評誌

「生活の批評」を集める、大阪を拠点とする雑誌です。

生活の批評誌が買えるお店201908

生活の批評誌取り扱い店舗様をまとめました。

(2019年11月11日現在)

ぜひお近くの場所に足を運んでみてください!

*一部店舗にて品切れあり。在庫に関しては各店舗様にお問い合わせください。

 

▶東京

模索舎(東京都新宿区)

取り扱い号:①②③

http://www.mosakusha.com/voice_of_the_staff/

 

・本屋B&B(下北沢)

取り扱い号:③

http://bookandbeer.com/

 

静岡県

・水曜文庫(静岡市葵区鷹匠

取り扱い号:①②③

https://twitter.com/suiyoubunko1?lang=ja

 

▶大阪

・garlly yolcha(大阪市北区中崎町

取り扱い号:①

https://yolcha.jimdo.com/

 

・Calo bookshop and cafe(大阪市西区肥後橋

取り扱い号:①②③

http://www.calobookshop.com/

 

・居留守文庫(大阪市阿倍野区文の里)

取り扱い号:①②

https://www.irusubunko.com/

 

▶︎京都

CAVA BOOKS(京都市出町柳

取扱号:①②③

https://twitter.com/cavabooks?ref_src=twsrc%5Egoogle%7Ctwcamp%5Eserp%7Ctwgr%5Eauthor 

 

▶長野県

books電線の鳥 

取り扱い号:②

https://toberunca.jimdo.com/

 

▶︎神戸
・ワールドエンズガーデン(王子公園)
取り扱い号:②③
 
1003(元町中華街)
取り扱い号:②③
 
・KITSUNE BOOK&ART (北野)
取り扱い号:②③

 

鳥取県

・汽水空港(松崎)

取り扱い号:③

https://www.kisuikuko.com/

 

文フリ東京に出店します。

久しぶりの投稿です。

年号が代わりましたが、なんのことのない月日の流れです。

 

生活の批評誌販売イベント情報です。

5月6日(月)GW最終日の日、文学フリマ東京に出店します。

 

https://bunfree.net/event/tokyo28/

 

時間は11:00〜17:00、場所は東京流通センター第一展示場

(品川らへんから羽田に向かうあたり)

 

約1000ブースの文学系同人団体が集う国内最大のイベントです。

生活の批評誌のブース名はカー24

 

最新号はもちろん、完売中だった創刊号含め、既刊を全て販売いたします。

 

 

どうぞお越しください。

一緒におしゃべりしましょう。

【新刊情報】生活の批評誌no.3「ひとりで無職」

 

〇新刊情報

 

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 表紙イラスト:富田晴 https://twitter.com/tomita_teru

 

生活の批評誌、新刊できました。

1月20日(日)京都みやこめっせにて開催される京都文学フリマにて販売いたします。

 

〇生活の批評誌 no.3 

 特集「ひとりで無職」

 無職になるとき、その人には、その人を取り巻く社会には、一体なにが起こっているのだろうか。

 労働と納税が義務とされるこの時代、無職はいつも就職に対する「前段階」だ。無職は、”働く前”の過ぎ去るべき過去として、至極簡易に処理される。 働け、なぜ働かないのか、と、周囲や世間、己からの声は絶えない。その一方で、街やSNSには、「働かないでなぜ悪い」と、無職を自由なオルタナティブとする言説があふれている。

 開き直った自由でも、労働に追われた絶望でもない、ただゆるぎない確固たる状態として、無職という状態を、捉え、見ることはできないだろうか。
 現にこの社会には、大人数が同じ格好でグループで歩いている大通りからも、“すごいひと”が笑いながら歩く隣の通りからも、外れ、たったひとりで、「無職」の小道を歩いている人がいる。誰かが、いつでも、「職業を持っているのが普通」とは別のレイヤーで、ひとりで無職をしているのだ。ただ淡々と。それを、かたちに表したい、と思った。
 無職を経験した人、そうでない人、どちらともいえない人、立場も経歴も様々な9人の参加者と送る、無職から”働く”を問い直す、暮らしのブックレット。

 ひとりで無職をしているひと同士のゆるやかな共同戦線に、小道への行き方や、小道の歩き方に迷う誰かへの標識になることを祈って。

 

〇収録作品

佐々木 治己 働かざるもの

梅澤奈央 南国ビーチだと思って無職になったら禅寺だった件

鈴木並木 直感でわかった

編集部コラム① 無職になったら ~失業手当を受け取ろう編~

林絵梨佳 こぼれ落ちた先にも人生は続く

小峰輝久 無職の極北

樫田那美紀 「母」から逃げて、無職になる

編集部コラム② 無職やフリーターはなぜ非難されるの?

nu 帆

編集部コラム③ 社会には無職が「必要」だ?

宮崎夏実 おいしいしごと

楽市楽座 萌 インタビュー 生きる知恵と生きる 

 

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文学フリマでの販売価格は700円(予定)です。

・「ひとりで無職」の方(自己申告/審査あり)先着3名様に649(ムショク)円の特別価格で販売いたします。

 ・表紙に特別な加工を施した関係上、全冊手製本です(それゆえ、多少のズレ、かすれ、手作り感などにご容赦ください)。

 

・第二回京都文学フリマは、文学系の団体が400ブース出展。

きっと大いに楽しめること間違いなし。ぜひともお越しください。

時間:2019年01月20日(日) 11:00〜16:00

場所:京都市勧業館みやこめっせ 1F第二展示場C・D面(京都市・岡崎)

 

 

生活の批評誌第2号 掲載作品

生活の批評誌第2号

 

 

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生活の批評と特集「つながりは、いま救われているか?」の二部構成の最新刊。

2018年5月6日発行。

 

表紙装画:近藤 大輔「惑星からの」 

 

特集「つながりは、いま救われているか?」
座談会
つながりの今、運動の現在                  富永 京子×編集部

現代日本オルタナティブは、なぜ無力なのか?        小峰 輝久

つながりとしがらみが取りこぼすもの             栗田 隆子

インタビュー
つながりしかないこの国で、何かを変えるということ      武田 緑

ボーダーを着た革命戦士 ―つながりと女のために―      樫田 那美紀

インタビュー
つながりが潜在化するもの                  田中 俊英

断絶の詩法                         鈴木 径一郎

女がアートでつながるということ
——「女のフェスティバル1986-1995」に参加したふじみつことノブコ・ウエダの場合——
                              中西 美穂

つながりの倫理 ~仏教思想を手がかりに~          秋田 光軌

I can’t touch it, you can’t touch it                  Maria

 

生活の批評 

Bouteille à la mer                       中村 桃子
いいえ私はこの世界にレジデンスしていたい          坂東 芙三次

冬の坂                           小長井 涼

Parlez-moi d'amour――ただ生きることの決疑論、たぶんその一  吉中 みのり

きょうのかんがえごと                    宮崎 夏実

やらずにはいられない懸賞について
—FRESH ART FESTIVAL HANSHIN参加総括—        編集部

ぐるぐる                           nu

生活の批評誌第1号 掲載作品

生活の批評誌第1号

 

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言葉、写真、漫画、翻訳小説、など表現手段に限らず、生活の批評と呼べるべきものを収録した創刊号。

 

---------執筆作品

goguma boy   ある習慣                        

藤原 詩織    現代生活と民藝 

鈴木 径一郎    覚めすぎて酔うような   

八ヶ代 真理亜      ELSEWHERE        

小峰 輝久      物語はいかに連帯を語るか 

大休 真紀子(組織化しない劇団森林浴) 生活の批評           

アトリエ小々枝イベント広告
小林 実央    ファシリテーターからの逸脱

宮崎 夏実    「今日、何かおもしろいことあった?」

nu       なりそこね 

樫田 那美紀   アトリエ小々枝 生活の0地点  

吉田 美音子   果たしてわれわれの立つ世界は、
        それほどまでに分離しているというのだろうか —『生活の批評』誌に寄せて—                

ラメド・シャピーロ 作 / 菅井 翔太郎 訳   キス              

連載人生カイギ 1    ジェントルマン コミネ

生活の批評誌とは何ですか

生活の批評誌とは何ですか、ということについて、ここでまとめようと思います。

(いよいよホームページ向きになってきましたが、まだブログで頑張るぞ。)

 

-----------------------生活の批評誌とは

2017 年 9 月創刊の批評同人誌。

「生活」と「批評」という言葉のイメージの離れを問題意識に置く。

日々の営みを内省のみではない形で描く、批評という言葉ではなにか形容し足りない、一番ここがちょうどいいという場所「生活の批評」を作ることを目的とする。

批評、詩、写真や漫画、エッセイ、小説などジャンルに差別や区別なく、今、必要な作品を掲載する。

 

-----------------------第一号巻頭文

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 『生活の批評誌』とは、「生活」と「批評」という二つの言葉を隣り合わせてみることから始める、批評同人誌です。
 筆者は、批評が好きです。批評というより、批評という概念にひどく執着してきました。でもなんで好きなのか、なんでこんなに批評が気になるのか、よくわからない。それでも、濃淡はあれど、批評ってものに地道に向き合ってきて、だんだん気づいてきたことがあります。「批評」って言葉は、なにをどう頑張っても「アカデミックでなんだか難しいこと」に近くて、どうしても、「崇高」なんです。「批評の神様」とはよく言いますが、なんだかこの世界を俯瞰して、自己の論理で一つ手の内に収めるような強大さがある。
 そして、それは「生活」の対極にある。「誰もが持っている身近なもの」、淡々と続く無秩序な日常は、ただただ「卑俗」です。「批評」と「生活」、「崇高」と「卑俗」。そんな一見つまらない二項対立が、世間を見回せば随所に見つかる。もちろん、私自身の中にも。
 しかしながら、対立する「生活」と「批評」の二つを"近づけよう"とする営みは、実は何十年も前から幾人もの先人によって、起こっては消え起こっては消えしてきたように思います。今流行りの哲学カフェなんかは知識競争になりがちなアカデミックな哲学議論へのアンチテーゼだったりするし、60年代から盛んに起こり続けている(!)「農村回帰」の姿勢は都市一極集中への批判を体現したものだし、民衆が使う雑器を見出した「民藝」という造語も貴族の嗜みとしてのいわゆる高等美術へのアンチテーゼだったりする。今でも「生活の中の○○」は恰好のスローガンだし、「生活に根差し」ているだけで、無条件に好印象だったりする。
 だけど「批評」と「生活」は、時に互いを翻弄しあう。哲学カフェはしゃべりたくてもしゃべれない誰かを放置してきたし、農村回帰は地方コミュニティの負の面をピックアップする機会にしてきた。アカデミーの世界に生きる人にとっては、「生活」に根差せないことは「わかりにくい」という点で罪となり、どんどん“誰にでもわかりやすい表現”しか“表現”として認められなくなっていく。
 「生活」と「批評」は互いが互いのジレンマとなる歴史を背負ってきたのかもしれません。
 本誌は、どちらか一つを大きく強く標榜することもしないし、融合しようなんて暴力をふるうこともしません。
 だけど、せめて、隣り合うことくらいは。批評と生活の新しい関係、なんてあるのかないのか、実はまだ、よくわかりません。でもまずは「生活の批評誌」と言ってみようと思います。雑誌を作ってみようと思います。どうぞお楽しみください。

          2017年9月18日 『生活の批評誌』編集部   樫田 那美紀

 

-----------------------第2号発行宣言文

 

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 六年間に及ぶ大学生活の終わりを遠目に見た時、「あまりにも場所がなさすぎる」と思った。場所とは、書いたものを発表する場所だ。手探りでブログやホームページを作ってみても、どこか愛情が込められない。書く文章にも、サイト整備にもいまいち真剣になれない。
思えば読む時もそうだ。私はネットで出会う言葉を、どれだけ真剣に読んでいるだろうか。曖昧に流し読みするばかりで、書き手を想い文章を温かく睨むことはほぼない。私がブログに文章を書く時想定する読者とは、そんな不誠実な読者——“私”である。そりゃ文章も、やってる私もつまんないわけだ。
 懐古主義の怠け者、といえばそれまでだが、それでもこの世界には、“書くことへの真剣さ”を必死でつかもうとしている人が一定数いる。自分の言葉が、出来る限り確かな実感をもって、自分以外の誰かの手に渡っていると思いたい。私たちは意外と、そんな“いつか”のために、出来るだけ本気を出さないように、真剣さを無駄遣いしないように、注意深く余力を作りながら日々物を書いてはいないか。彼等が、私が、今最も求めているのは、自分自身が真剣に書ける「場所」である。
 だから私は、SNS の広大な寛容さを横目にみながら、縛りと囲いに満ちた「雑誌」という場所を作る。私はそこを、“書くことへの真剣さ”を肯定する場所にする。形態は「批評誌」とする。誰かの言説、存在、行為が想定され書かれるものである限り、批評にはかならず抜き差しならぬ「相手」があるからだ。“書くことへの真剣さ”は、そんな「相手」に対する些細な緊張関係に基づいている。論争必死。どれだけ世の中の秩序をかく乱する殺伐とした内容でも、ラブレターはラブレターなのだから。
 だから私はこの雑誌を私が生きている限り—その頻度と形態は問わないが—作り続けることを約束する。だから『生活の批評誌』と題した。今は「場所」を作ることに必死になっているけれど、私たちは日々の生活の中で、誰かに向けて、本当はもっともっと真剣に書いていいはずなんだ。一年後のもしかしたらバテているかもしれない自分のような誰かにそうささやくために、第二号の制作に着手する。

          2017 年 11 月 9 日 文責:『生活の批評誌』編集部  樫田那美紀